(財)みやぎ産業交流センター
多賀城・七ヶ浜まちづくり推進協議会
日本イベント業務管理者協会
大山真由美 氏
3.11の東日本大震災の発生から半年近くが経ち、被災した各地では急ピッチで震災復興計画の策定が進められている。
地震と津波、そして東京電力福島第一原発事故。M9.0の巨大地震による大規模津波は一瞬にして多くの尊い人命や貴重な財産を奪い、東北から関東の太平洋沿岸にいたる561平方キロメートルの浸水地域で生活機能に壊滅的なダメージを与えた。
今なお、原発事故により原発退避区域から避難生活を余儀なくされた上、風評被害に脅かされ、もとの生活に戻れない不安を抱きながら被災者は先の見えない苦難の中にいる。
3.11震災当日
震災当日、私は仙台港にある展示施設(夢メッセみやぎ)で勤務していた。当日は食のイベントが開催され800人近くの来場者・出展者が正午の混雑時を過ぎ、ゆっくりと買物を楽しんでいた。
14時46分、今まで経験したことのない大きな揺れにそのまま動くこともできなかった。私たちは1時間後に到達する津波から逃れるため、来場者・出展者を隣接する5階建のビル(アクセル)と施設の屋上(会議棟2階)に、主催者とともに誘導した。凍てつく寒さに震えながら、津波が輸出用の新車や来場者・関係者の車を呑み込み迫ってくるのをただ見つめることしかできなかった。余震で揺れる屋上でこれ以上の津波が来ないことを祈りながら。さながら「日本沈没」の映画のワンシーンを見ているかのようで目の前に起きていることが現実とは思えない迫力であった。大津波警報が解除される見通しもなく外部との連絡もとれないまま避難者全員は避難先の建物で一夜過ごし、翌日、避難者全員が帰宅、または避難所へ移動した。仙台港周辺の状況はあたかも空爆にでもあったような荒れ果てた光景になっていった。
我が家のある多賀城市は砂押川が決壊したため川から海に面した一帯は全壊・半壊の家がほとんど、市の1/3が津波の被害を受けた。線路から脱線した車両、漂流物で押しつぶされた家屋、道路をふさぐ夥しい車両、海岸線から5kmも離れた住宅地にまさかの出来事であった。電気が復旧してから見る映像は被害の大きかった地域がクローズアップされていたが、仙台市に隣接する多賀城・七ヶ浜地域の被災映像は当初見ることができなかった。
自粛傾向のなかで
多賀城市は仙台市宮城野区・多賀城・七ヶ浜にまたがる仙台港が開港した年に、多賀城町から多賀城市となり、今年11月1日に40周年を迎える。とはいえ多くの犠牲者を出した当市はイベント開催する会場も瓦礫の山であり、待ち望んでいるイベントも自粛傾向である。
そんな中、仙台市では震災から3ヶ月過ぎた6月25日、展示施設に隣接するアウトレットパークの再開に併せて仙台港エリア復興記念イベント「みなと仙台・ともに、頑張ろう!」が開催された。会場はアウトレットの駐車場。宮城県・仙台市主催、仙台港エリア振興会((財)みやぎ産業交流センター「夢メッセみやぎ」事務局)が後援で、「マルシェ・ジャポン センダイ」などの物販イベントやステージショーなどのイベントで会場は盛り上がった。
また、この会場で今年6月に予定していた夢メッセみやぎ主催の「美濃焼フェア」が中止になったことから、岐阜県の土岐市と土岐市美濃焼PR委員会が7月9日、10日の2日間を使って「美濃焼チャリティーフェアー」を開催してくれた。多賀城市・七ヶ浜町・塩釜市の仮設住宅へ美濃焼の食器も寄贈して頂いた。私も土岐市職員と一緒に仮設住宅に住む住民1軒ずつ手渡しで配布した。
恒例の東北三大夏祭り開催前の7月16日、17日には、東北の県庁所在地6市の夏祭りを一堂に集めた東北六魂祭が開催された。二日間で10万人の予想をはるかに超える36万人の観光客が訪れ、日本中の熱いエールが仙台に集結した。また恒例の仙台七夕は予想をはるかに上回る観光客で賑わった。
そして被災地の方々に元気を与えたイベント「LIGHT UP NIPPON」の東日本大震災 追悼と復興の花火大会がある。
追悼花火大会 LIGHT UP NIPPON
私は8月11日、多賀城の打ち上げ会場の近くに車を止め、地元放送局の生中継の「LIGHT UP NIPPON」に併せたイベントを見ながら、19時の花火打ち上げを待った。
正午からはアウトレットパークの駐車場を会場に、仙台港エリア復興イベント「with LIGHT UP NIPPON」(主催:宮城県/仙台港エリア復興イベント実行委員会)が開催。有名アーティストのライブやステージショーなどが行なわれた。花火と同時にライブが聞けるとあって多くの来場者が集まって来た。
19時、夜空に思いっきり響き渡る「ドーン」という打上花火の威勢のよい音。生中継では会場ステージ右後方から上がる花火がさらに画面上で一体化され、鮮やかさを映し出していた。
花火の打上会場は混乱を避けるため当日まで発表されていなかったが、打上時刻前から見物客らしい人だかりが増えつつあった。この花火の打上会場もまた、津波の被害で休耕となった場所である。近くには仮設住宅もあり、入居者の方々もこの花火の音に動かされ、戸外へ出て花火を見つめていた。
岩手・宮城・福島の3県、7市3町の被災地で一斉に上がった花火。同じ時間に同じ夜空を、被災地に住む方々が祈りと復興を願いながら見つめている。被災者の気持ちが2万発の花火に込められている。
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このイベントは岩手県大槌町で学生時代を過ごした東京の会社員の高田さんが呼びかけ、有志たちで企画、個人の寄付や企業の協賛を得て、2万発の花火を購入。被災地7市3町の有志らで実行委員会を立ち上げ、それぞれ被災地で運営して花火の打上を行なった。さらにこの花火大会に呼応して、被災地各地で併催イベントも行なわれた。復旧の目途も立っていない被災地で「花火で元気に」をコンセプトに説得する高田さんの情熱と勇気に脱帽だ。
私は企画書を読んだ時、この企画に触発されて東北でのイベント開催が積極的になるのではと思った。事実、企画書に動かされ、多賀城でも地元青年会議所が立ち上がり実行委員会に参画した。このイベントは、各地の実行委員会のメンバーが地元住民と協力して成功させたイベントでもあるのだ。
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結果的にネットでの書き込やTV局での生中継、報道関係の関心もあり、短期間の告知にも関わらず全国の多くの人々の心に伝わった。観光客の集客狙いの花火大会と違い、追悼と復興の気持ちが一つになって人々を自然と呼び寄せる。
イベントは感動の共有、感動の共有こそがイベント。今回のイベントは住民共生イベントとして、震災後5カ月が経った日の記憶に残るイベントとなった。
イベントの力
各地でイベントが自粛される中、「復興イベント」が「まちおこし」の起爆剤となることをこのイベントは証明した。復興イベントは地域住民の中に入り込んで汗をかくことで人間関係の絆を強くする。こんな時だからイベントの力が発揮される。いまこそイベンターの力を発揮すべき時だと思う。
先人たちは何度も自然からしっぺ返しを受けながら立ち上がり、自然に働きかけて再生してきた。歴史に学びつつ自然に対し敬い恐れ、自然と共生し、自然から恵みをいただいて生きる自然観に立ち返って都市は持続していくだろう。花火の元気をもらった東北の被災地はまた新しく蘇る。
先日、知り合いに誘われて墨田川の花火大会を見に出かけた。この花火大会は享保17年に発生した大飢饉とコレラの死者を弔うために両国の川開きに花火を催したのが始まりで、「LIGHT UP NIPPON」と同様、追悼と鎮魂を目的としたものだった。
都内の花火大会が中止となる中、1ヶ月遅れで開催され、2万発の花火の競演に多くの観客が感動した。
「LIGHT UP NIPPON」も今回は被災地10ヶ所での打上だったが、被災地のみでなく日本中の夜空を地元で同時に祈りと願いを込めて打ち上げる花火大会となることを期待したい。今、私ができることは3.11の記憶を後世に伝えていくこと。
(2011年9月5日(月))
◆関連記事
◆関連参考リンク
・LIGHT UP NIPPON公式サイト
・同サイト内 関連イベントリスト
・夢メッセみやぎ公式サイト
・『東日本大震災から5ヶ月「亡くなった方のため、子どもたちのため」東北3県から一斉に花火打ち上げ(Walker plus)』
・『8.11復興花火「LIGHT UP NIPPON」プロジェクトの舞台裏(週プレNEWS)』