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コラム・特集

―被災地に笑顔が戻る日まで―「文化による復興支援」シンポジウム

「文化の残らない復興は、ほんとうの復興ではない」

―被災地に笑顔が戻る日まで―「文化による復興支援」シンポジウム

シンポジウムのチラシ(表面)

「被災して家が崩壊し、すべてを失った漁師が、瓦礫の中からたった2つだけ見つけたもの。それは、奥さんに渡した貝をあしらった小さな指輪と、獅子踊りの衣装と太鼓。漁師は、避難所でみんなの前で獅子踊りを踊った。みんなは涙を流し、生きていてよかった。これからも生きていかなければいけないと、話してくれたー」

秋篠宮同妃両殿下、眞子内親王殿下も御臨席し、9月24日に国立劇場で実施された遠野市(遠野文化研究センター)主催、文化庁共催による「文化による復興支援シンポジウム」。第1部の鼎談において遠野文化研究センター所長の赤坂憲雄氏の語った冒頭のエピソードは、今後、文化が復興の大きな力となることを如実に物語っていたように思われる。

柳田國男の「遠野物語」の舞台となり、民話伝承の里で知られる岩手県遠野市。本市は「遠野物語」誕生から100年を迎え、あらたな100年へ向けて遠野という地域の歴史や文化、風土を包括的に研究し、それを地域資源として生業や観光の現場につなげていくことを目的に、4月に遠野文化研究センターを設立した。しかし、それに先立つ3月に未曾有の大震災が発生したため、センターの事業として、その土地に住む人の心のよりどころとなる大切な宝物を後世へ伝えるため、文化による復興支援活動「三陸文化復興プロジェクト」を全面的に実施することになった。現在は被災した博物館や図書館から文化財を救出し、資料の洗浄・修復を行なう「文化財レスキュー」と、被災した学校図書室や図書館へ本を届ける「献本活動」を大きく展開している。

6月には、第1回目のシンポジウム~被災から3ヶ月、今私たちがやるべきこと~「文化による復興支援シンポジウム」を遠野市「あえりあ遠野交流ホール」にて開催。ディスカッションと遠野小学校全校児童約300名による合唱などが行われた。その際、東京でも開催して現地の声を伝えたいと企画されたのが本シンポジウムである。三陸文化復興プロジェクト自体は第1回目のシンポジウム前から活動が始まっていたが、本格的な取り組みはその後から。そのため今回は、前回紹介できなかった実際の取り組みの様子も映像等で紹介された。

構成は1部と2部とに分かれ、1部では、近藤誠一氏(文化庁長官)、北川フラム氏(アートディレクター)、赤坂憲雄氏(遠野文化研究センター所長)の鼎談と、遠野小学校児童の合唱。休憩をはさみ、2部では、現地での文化復興作業の映像報告と、「文化と災害復興」をテーマとしたシンポジウムを実施。1部の鼎談では、文化による復興支援の意義や全体的なビジョンが語られ、2部では、より専門性の高い現場からのレポート報告となっていた。

 

「文化を中心とする復興支援を日本全体の再生にもつなげていく」

1部の鼎談では、文化庁長官の近藤氏より、「震災後は自粛ブームもみられたが、文化・芸術活動に復興への大きな力があることを確信している」と話があった。同氏は続けて「(文化・芸術活動は)祈り、自然の恵みへの感謝、明日への希望、生きる力を養い、社会への活性化につながる。文化を中心とする復興の支援を日本全体の再生へもつなげていきたい」とし、具体的には、①埋もれてしまった文化財、お祭りの復活 ②新進気鋭のアーティストによる東北復興運動、文化芸術活動支援 ③芸術祭のようなものの実施をしたいと述べた。また、新潟県越後妻有(えちごつまり)地域の自然豊かな里山を舞台に、世界のアーティストがコラボして開催される国際芸術祭「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の総合ディレクターである北川フラム氏は、「お祭りには、正しいとか悪いとかでなく、好きも嫌いもいろいろ違う人が集まるもの。人と違うところが褒められる唯一のものが美術」と語り、さらに「人と人、国と国をつなぐもの、大切なものは目に見えない」とも発言した。

1部のフィナーレでは、遠野市立遠野小学校で昭和57年より30年にわたって伝統をつなぎ、授業での全校表現活動として実施している「遠野の里の物語」を、遠野小学校児童約150名が歌と演技で披露。最後に、児童が「人と人とがつながって、なにかが生きる。そのつながりの中に僕たちがいます。自分たちにしかできない表現活動を、ふるさと遠野から発信していきます」と力強く挨拶。会場からは、割れるような拍手が起こった。

 

「5~10年先を見据えた未来につながる文化支援を期待」

第2部では、栗原祐司氏(文化庁文化財部美術学芸課長)のほか、岩手県より、湊 敏氏(山田町・鯨と海の科学館長)、佐々木 健氏(大槌町・教育委員会生涯学習課長兼図書館長)、熊谷 賢氏(陸前高田市・ミュージアム学芸員)、中村仁彦氏(大船渡市・文化会館企画運営員)を迎えてシンポジウムを開催。岩手県から来場したパネラーの面々はみな被災者であり、陸前高田市の「市立博物館」「市立図書館」などの施設では、職員、臨時嘱託も含め、3分の1しか生き残らなかったという。震災後半年がたち、そのなかで現場での復旧活動を淡々と続ける当事者の語る言葉には、やはり重みがあった。

熊谷氏は、「目の前にある復旧すべき資料の多さ。すべてを救いたいと思うが、やはり優先順位をつけなければいけない」と発言。シンポジウム当日、地元のお祭りが開かれていたという大槌町の教育委員会・佐々木氏からは、「お盆に帰ってこない若者も、お祭りにはたくさん帰ってくる。江戸時代のものが消えても、そこからつながるものが(郷土芸能を通して)未来につながっていく」と発言。中村氏も、「受け継がれていく郷土芸能は、その地域の方の心のよりどころにつながる」とつなげた。また、中村氏は、「当館でも無料でやらせてほしいと要望があり、古典、ポップス、ジャズ、クラシック…といろいろ実施予定があるが、タダで見られることが地元で定着してしまうと、無料でないと見に行かないということになりかねない。実際に中越地震や阪神大震災のときも同じようなことがあったと聞く。まだ震災後1年たっていないのでいいかなとも思うが、1年という区切り以降は、どんどん復興していかなければならない、地域経済も復興していかなければならない。人々がお金を払うという気にならないと文化事業も予算を割けなくなる」とし、おなじ支援でも“5~10年を見据えた先の子どもたちに文化を体験してもらう”等、未来に残る形での実施を求めていきたい旨を訴えた。赤坂氏も続けて、「与えられることがあたり前になってしまうといけない。文化は自分たちの手でつくりだしていかなければならない」とコメントした。

本イベントで印象深く感じられたのは、震災で失われた文化財をただ救済、復旧するだけでなく、そこからまた新しい文化をつないでいこうとしている三陸地域の力強さだ。それは、「遠野物語」の誕生から100年たち、さらに新たな100年を創るべく設立された、遠野文化研究センターの設立趣旨とも重なっているように思われる。さらにいえば、この復興支援活動そのものが、この地域のまた新しい文化となることもあるだろう。たとえば遠野市では、献本活動において “全国から集まった本を必要とされる場所に送るシステム”を構築し、神奈川大学の学生ほか、多くのボランティアの協力を得て本の整理作業に取り組んでいる。遠野文化研究センターの赤坂氏は「ひとつの災害の文化復興のモデルとなったのではないか」と語り、被災していない自治体の学校に本を送ることができる可能性にも触れた。

同センターでは、今後も継続的に、こうした被災地の現状報告ともなるシンポジウムを実施していく予定。また、10月1日~10日には、代官山ヒルサイドフォーラムにて「東日本大震災と文化財レスキュー展」を開催。震災後半年がたち、被災したミュージアムの文化財の救済、復興を進めている「文化財レスキュー事業」の活動記録を紹介する。さらに、来年3月には、“震災からよみがえった東北の文化財展実行委員会”により、都内と遠野市で「震災からよみがえった東北の文化財」展を開催予定。なお、文化庁では、「東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援事業(文化財レスキュー事業)」の実施を進めるため、寄付金・義捐金の受付を実施している。
(2011年9月24日(土)信藤理保子)

 

当日の様子
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